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移植体験者の声(体験談)

私も角膜移植を受けました
勇気を振るってうけたアメリカでの角膜移植。 この手術が私の人生を180度 明るいものへと変えてくれました。

痛みとの戦い・・・円錐角膜 

円錐角膜という病気は、目の表面を多く薄い透明な膜である角膜が、円錐状に変形する病気です。大概の場合、変形した部分をハードコンタクトレンズによって押さえつけ、 視力を矯正します。変形した目の一部をコンタクトレンズで被うわけですから、コンタクトレンズによって目が傷つき非常に強い激痛が伴うこともあります。

私は強度のアトピー性皮膚炎と円錐角膜によって、10代を,苦痛と戦うことに費やしました。 コンタクトレンズによって傷つけられた目の痛みは強烈です。 激痛が何日も続くと、目は痛みにたいして敏感になり、ちょっとした光にもめを開ける事ができなくなります。

目を保護するために、光を遮断した部屋の中で過ごす日が増えてゆくに連れ、気持ちは暗く落ち込み、将来への夢も希望も諦めなければならない状態に追いやられていきました。 読書をする事も、勉学に打ち込むこともままならないというのは、寂しく情けないことでした。 

いつ?いつ?角膜移植手術? 

円錐角膜の痛さに耐える高校生活の頃、私は数多くの眼科医の診断を受けました。そして最終的に「角膜移植手術を受ける」ということになったのものの、手術の日取りが決まりません。
ある時には1年後、またはある時には2年後と言われ,いつの間にか私は大学を卒業する時を迎えてしまいました。

人生の最初の岐路を迎えても、手術の日取りを待ちながらというのでは、就職先にもご迷惑をかけてしまわないか?という思いから、どうしても先に進むことができません。私は何の選択をすることなく卒業し、目的もないままアメリカへと渡りました。

えっ!1週間後に手術ですか? 

アメリカでは語学学校へ通ったり、異文化での生活を身を持って楽しみました。 そろそろ生活にも慣れはじめた頃です。 角膜の変形している部分にコンタクトレンズが当たり,傷ついてしまったのです。激痛に耐えながら、私は大急ぎで病院へ行き診察を受けました。 診断は「円錐角膜」。国が変わっても病名までが変わることはありません。

その後10日ほど通院した頃、担当の医師から 「角膜移植の手術を受けてみませんか?」と勧められました。 日本で待ち望み、遂に受けることができなかった手術です。そんなに簡単に勧められ、あっさり決めてもいいものか?そう思いながら「YES」わたしは答えていました。

手術の日を決め、手術に必要な手続きを全て済ませ、 「遅くとも2週間以内に手術は行われますよ」という担当医の言葉通りに、手術はそれから1週間後に行われました。術後数時間で自宅に戻り、後日通院、抜糸は3ヶ月後に行われました。

日本では当たり前だった10日前後の入院は、どこにもありませんでした。 

痛みからの開放,見える幸せ 

手術後は眼帯の不便さと,重たいものを持ってはいけないという注意を守りながら、普段と変わらない生活を送りました。 無事に抜糸が終了すると、自分の視力に合う眼鏡が用意されました。

眼鏡をかけて、瞼を上げた時に飛び込んできた「新鮮な見慣れた風景」。すべてのものが新鮮に新鮮に見えます。

「見える!」「見える!」「見える!」

その瞬間の感動を今も忘れることができません。 その夜,星を見ました。手術前には見ることができなかった星です。 夜空に無数に輝く小さな星を見たとき, その美しさがとても嬉しかったことも・・・・・・。

感謝の日々の中で

その後1年ほどしてから、私は残されたもう片方の角膜移植手術も終えました。

今はとても快適で楽しい毎日を過しています。このような体験を経て、わたしのアメリカでの体験が、苦しんでいる人達のために役立つことができるのではないか?と考えるのです。

感謝の日々の中で、「日本に居ながらにして、わたしと同じ病気で苦しんでいる人がいるのならば、同じ患者として悩みを聞き、苦痛をやわらげる為に出来ることがあるはず!」

わたしはこのような思いからインターナショナル・アイ・ネットワークを作りました。

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角膜移植体験者の声

  • 小田切病院 (インターナショナル・アイ・ネットワーク) - 角膜移植・円錐角膜
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